20180429

平成30年度総会と記念講演会

行 事 平成30年度流山市立博物館友の会総会と記念講演会
日 時 平成30年4月29日(日)13時30分~16時30分
会 場 流山市生涯学習センター 4階 401大会議室

Ⅰ   総会 13時30分~14時40分
会長挨拶  大出 俊幸

来賓挨拶 流山市立図書館・博物館館長 小栗信一郎氏


議事  議長選任の後、全ての議案が承認された。 

Ⅱ   記念講演会   15時~16時30分 (90分)
      演題  歴史と歴史小説の間
      講師  成田 龍一 氏  日本女子大学人間社会学部 教授
                   専門は近現代日本史


多くの一般の方も交えて白熱の講演に聞き惚れました

記念講演の講師  成田 龍一 氏(日本女子大学教授)


①歴史小説のおもしろさ
司馬遼太郎の『竜馬がゆく』(産経新聞、1962~63年)、『坂の上の雲』(産経新聞、1968年~72年)と、大仏次郎の『天皇の世紀』(朝日新聞、1967~73年)、『鞍馬天狗』(1924~65年)を例に挙げ、歴史小説のおもしろさとは、作家と、これ本当かなと思いながら読み進める読者との、知恵比べが、歴史小説の醍醐味ではないだろうか。

②歴史と文学
ある年の事実とある年の事実とある年の事実を並べたのが年表。事実と事実の間には空白の処がある。ここを埋めてつなげていくに2つの方法がある。歴史学者はリアリティを持ってこれを行い、作家は想像力を駆使して物語を紡ぐ。歴史と文学に興味のある方は、尾崎秀樹『大衆文学論』(勁草書房、1965年)、尾崎秀樹『歴史文学論』(勁草書房、1976年)および菊池昌典の『歴史小説とは何か』(筑摩書房、1979年)などが参考になる。
かつては歴史家が書いたものと、作家が書いたものの間には、歴然とした区別があるとされた。歴史家が書いたものは、叙述する主体である「私」を隠した処の科学(科学的、客観的)であるからして、明治20年ごろに誕生した近代歴史学では、誰が書いても同じ内容(法則性の存在)になる。一方、歴史小説は作者を前面に出して書くものと位置付け区別した。
重野安嗣の『赤穂義士実話』などにより、物語の登場する有名人の実在をつぎつぎと否定する論考が書かれ、その論考学者は「抹殺博士」と呼ばれ、私たちは近代歴史学の虜になってしまった。

③現代歴史学の登場
  「歴」とは、起こったこと(出来事)
  「史」とは、書き留めること(記録する)
であるからして、現代歴史学は社会史ともいわれるようになり、法則性から、心性(心のあり方)に注目するようになった。人間は心と体を持ち、人と人とは絆を持っているからである。「出来事」をいつ、どこで、誰が、なにを、なんのために、どのようにしてしたのかを調査し、分析して「書く」(記録する)のが歴史学ということに変わり、誰が書いているかが大事になってきて、歴史小説(文学)との境界が混とんとし始め、歴史と文学をすっぱりと分けて考えて良いのだろうかという議論が生まれた。
私の物語「自伝」で、嘘は許されるのか、許されないのか。書いている人が、そう思っているのであれば、それは許されるのではないかという判断も生まれ、この正解はない。

④おわりに
歴史学とは、出来事を解釈して、意味を与えるもの。意味は、時間の経過とともに明らかになってくるもの。この積み重ねの先に歴史が存在する。
無数の出来事から重要な出来事を選び出し、選んだ出来事同士をどのように結び付け、解釈し、それに意味を与え、批評するという営みは、歴史家も作家も、各人の置かれた社会の中で、それぞれの作法に従って向き合うということなのだろう。